20160716

むかしのはじめ


イリアム・ヘンリー・フォックス・トルボット 「自然の鉛筆」

ダゲレオタイプで知られるダゲールよりも前に写真を発明していたといわれるタルボットの、1844年から出版された世界初の写真集をもとに編まれた本。今数多ある写真集というものにも「世界初」はあったんだよなあ。この本の出版は今年です。赤々舎ってどうしてこんなに格好いい写真集ばかり出版できるのだろう。
初期の写真って想像よりずっと画像が細かいし濃淡も繊細だったりして、今とそんなに変わらない感じがします。意外と荒くないというか。今適当に撮った写真で当時より荒いものも普通にあるかも。


タルボットの写真や文章もよいのですが、個人的に好きだったのは写真家の畠山直哉さんの文章。知的で難しいといえば難しいのですが、なんとなくああ分かるなあということを書いてらして。写真史を学ぶ意味でも面白く感じました。畠山さんは最近ドキュメンタリー映画にも。
特に印象に残ったのが、少し前に海外の写真家を志す若者たちがコンテストに提出した作品の多くが、何故か揃ってフィルム写真だったという話。彼らはおそらくバリバリのデジタルカメラ世代なのに。で、なんだか感覚は分からなくもないような?と。
もっと大人のフィルム世代の写真家のほうが今フィルムに敢えてこだわる人の率はむしろそこまで高くなさそうな気がします。完全にデジタルに移行している人も多いでしょうし。今あえてフィルムってノスタルジー趣味みたいでなんかなあという考え方もあるだろうし。もちろん人と場合によりけりにしろ。
デジタルが当たり前の若い世代ゆえに、一時であれ愚直にフィルムにも触らざるをえないというか、経験としてフィルム使ってなんか乗り越えなきゃみたいな感覚ってあるだろうなあと。これだけSNSが発達すると逆にアナログ志向にとかもありそう。


ちなみに「自然の鉛筆」とは=写真のことだそうで。写真は光(自然)で物体の形を描く絵画ですよね。印画するのも銀とか塩とか自然界にあるものだし。つまり自然の鉛筆。





書するときは耳栓をしているかインストを聞いていることが多いのですが、最近はサティが多いです。「グノシエンヌ」がすごく好き。時代的に現代音楽の初期というか一歩手前というか、「乾いた民族音楽」みたいな雰囲気で。
インストだとサティ、グレン・グールド、ビル・エヴァンスとかが多いです。なんかすごいこだわりがあるとかではなく邪魔にならない嫌いではない音を探したらこの辺だったみたいなことですが。中でもサティは感覚的に一番好みかも。
そういえば10年くらい前はやはり邪魔にならないからという理由でフレンチロリータ系ばかり聞いていたなあ。ジェーン・バーキンとかBBとか、まあゲンズブールを。これ系もやっぱり基本がどこかドライというか、重くない感じが当時の自分に良かったのだと思う。環境音楽みたいな感覚だった。




上のグノシエンヌを別アレンジにした「その男、凶暴につき」の挿入曲。これも好きです。
小学生のころ親に連れられて「48時間PART2」(確か「ゴースト」と同時上映だった)を地元の映画館に見に行ったら、ロビーに「その男~」のたけしの等身大の立て看板があってなんともいえない雰囲気を感じたのを覚えてます。テレビで見るビートたけしだけどなんか違う?ような?という。


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