20170412

牯嶺街にて


「牯嶺街少年殺人事件」を観てきました。
その名は何度も目にしているけど実際に見たことはない「自分の中の噂の映画」ってありませんか? 私にとってその代表格が「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」です。名作だとか有名という評判だけでなく、自分が好きな作家さんや漫画家さんによる紹介や、好みの小説や映画が並ぶような文章にたびたび出現する謎の映画。何年も前からそういうイメージで頭の隅にあった作品です。
つまり自分も好みなのでは、見てみたいなあと思いつつDVD化もされず見られず月日は流れ。ちなみに日本での公開は1992年。子供だったので映画の存在は知る由もないし、当時もPG12だったとしたらどのみち見られないな。
それがデジタルリマスターで札幌でも公開されるということで、これは逃すわけにもいくまいと情報を知った数か月前から待っておりました。


236分(インターミッションなしの3時間56分!)という長い長いお話。堪え性に欠ける人間なもので途中で気が遠くなったらどうしようと心配でしたが、映像の美しさと物語の緊張感で見続けられました。単純にちゃんと面白いので。
アジアの美と一口にいっても色々な美しさがあるのだと思いますが、「牯嶺街」の美は翡翠のような緑色が漂い続けているような美でした。草いきれの緑、真夏の緑。爽やかで透明なのに果てしなく重い絶望の緑。とにかく空気の表現が尋常ではない。
デジタルリマスターってそんなにピカピカにきれいに加工しなくてもと思うことがままありますが、今回のこの作品ではすごく上手くいってたんじゃないかなあ。言われなければデジタル処理済みと気づかないようなアナログの濃密な空気の画面でした。


映画って映画なわけなのでどんなに自然に撮られている作品でも「つくりもの」の感じはあると思うのです。それはまったくおかしいことではなく。というか当然ですが。つくりものなので。
が「牯嶺街」を見ているとその認識が揺らいでくるのです。初めての感覚で衝撃でした。閉塞した異世界にふとカメラが入り込み、少年少女たちをひととき記録したかのような映像。はっきりとフィクションだと分かるのにその中を流れるものが芝居や台本ではありえないとも感じる。矛盾した二重写し状態で、混乱を伴うリアリティが凄い。とんでもない画面だと思いました。創作物でありつつ現象の記録でもあるというような。そしてやはり国の、社会の話ゆえにそういう作品になったのだと思う。
これはもう計算や常識を超越して奇跡的に撮れてしまったような映画なのだろうな。そしてそういうものを目の当たりにすると、感動とか感心というよりもある種の恐怖を覚えることを知る……。そう、怖いんだよね。この映画が存在すること自体がどことなく怖い。


もちろんとても好みだったのですが、好き嫌いとは別の次元で見たことのないものを見てしまったなあという感想のほうが今は強いです。貴重な体験でありました。

20170401

椿の国の

年前の資生堂の花椿CLUBのコンパクト、だと思うのですが。未使用のものを発見したので買ってみました。かわいい。金属製でしっかりしているのですが意外と重くなくて持ち歩くのによさそう。椿の柄。コンパクトというものに弱いです。
上のも花椿の手鏡です。アンジェラ・カミングスのデザインだったかな? これも椿のモチーフで見た目は好きなのですが重くて使ってない……。それだけ素材がしっかりしてるのだろうけど。どちらもリサイクルで見つけて買ったものなので正規の入手ではないです。



資生堂の昔の化粧品をゴソゴソと出してみました。インウイ(真ん中の赤い四角のアイシャドー)はディック・ページ時代だと思う。漆塗りみたいな赤のパッケージが大好きだった。この会社特有の深い赤が好きです。一番上の四角い缶は資生堂パーラーのビスキュイ。
右上の石鹸は花椿石鹸、和柄のコンパクトはプラウディア、黒地の椿柄のは脂取り紙、白い四角はFSPのシャドーです。水色のネイルはPJラピスでその右隣ふたつはピエヌ。下は香水のウィア。
ちなみに資生堂、デザインは好きなのに中身は肌色と合わないことが多くて悲しい。全体的にイエベ向きなのかな。そもそも二十歳の頃にスタイリッシュさに憧れて買ったピエヌのオレンジチークが劇的に似合わず驚いたことが、自分は黄色味が苦手?と気づいたきっかけであったなあ。悲しくて手持ちのワトゥサのピンクと重ねてなんとか使ったりしてた。


ちなみにそのワトゥサも初期のものをまだとってあります。ワトゥサは紙製なのが特徴かな。このお粉の紙パッケージ、世界一かわいいパウダーケースだと思ってます。パフの持つ手がボタンになっている。サブロオさんのセンスも大好きです。


最近気づいたのですが、私が特に好きな資生堂のデザインは1980年代終わり~2000年くらいに集中しているのかなあと。今でも無意識に手に取るものがその時代のものな確率が高い。
好景気でもあったこと、私自身が化粧品に興味を持ち出す年頃だったというのもあるでしょうが、加えてひとつその期間の資生堂に共通する要素があるなと思い。それは「福原義春が社長だった時期」です。 創業者の孫である福原義春という人について詳しいわけではないですが、彼の文章や仕事や交友関係や生まれから察するに、日本の企業人としてはほとんど反則級にセンスの良い人であろうことは想像に難くなく。
あの(気難しそうな)芸術家肌のセルジュ・ルタンスと友人で資生堂に引っ張ってきたのも福原氏だったはず。そんな人他にいないよなあ。 資生堂は今も結構好きですが、事実として福原氏が社長である資生堂はもう二度とないのだな、あったらおかしいもんな時は流れるのだから。とふと思ったりします。



ルタンスのインウイのCM。こういうのが何本も撮られて普通にテレビで流れてたってクラクラするなあ。主に予算と大人度の高さ的な意味で。



キュートすぎる小百合とセット。トランプとお花。アイドル!