岩見沢市で生まれ育った氷室さんの幼年時代を詳しく知られたのも嬉しかったし、小説家として生きていく決意をした経緯、少女小説ブーム、映画や漫画の原作、エッセイや大人向けの作品への展開、と時代の変化と氷室作品の関わりとを時系列で見られたのも良かったです。氷室さんの活躍した時代とは、少女たちを取り巻く社会や環境がさまざまに変化していった時代であったのだなということも感じました。氷室作品もそこに呼応していたのだなと。
あと岩見沢って自分にとってちょっとだけ縁のある町かなとも。父親の仕事の関係で子供の頃に連れられて行ったりもしていたし、岩見沢に住んでいた友達もいました。その友達も利用していたJRの岩見沢駅が火事で焼失して驚いたり、数年後新しく建てられた駅舎がグッドデザイン大賞を受賞してまた驚いたり。
個人的に改めてそうか~と思ったのは、『クララ白書』以前と以後でひとつがらりと時代が違う感じがしたところ。というのも、単純にコバルト文庫の表紙がもう違うんですよね。世界観が。
これを書いていた作家さんが、
こうなる。この間たった一年。
『さようならアルルカン』も内容に合っているしとても好きな表紙ですが、原田治のモダンなポップさは単純に世界が全然違う。というか『クララ白書』が今のエンタメ小説の表紙水準と比べてさえオシャレというか。このままグッズにできそうだもんな。そしてこのシリーズで氷室さんは大ブレイクし、少女小説家のトップバッターになるのですね。この2つの表紙の違いが、少女小説界全体ががらりと別のフェーズに変わった時期だったことを象徴してもいるように感じました。
ちなみに今気づいたんですが、ヒロインがストラップシューズを履いているのだなあ。母が作品のモデルになった寮のOGなのですが、昔は指定靴?上履き?が革のストラップシューズだったそうです。女子校だからね。
たぶん私より下の世代の方だとあまりピンと来ないかなと思うのですが、少女小説における氷室冴子の存在というのはとても大きなものがありました。
まず前提として、ネットもケータイもない時代にはコバルト文庫やティーンズハートといった少女小説は十代の女子の中で広く安定した地位があったんですよね。最盛期であったろう80年代を過ぎた私の十代の頃でも、当時一番有名だったティーンズハートの折原みとはよほど本に興味がないとかでない限り誰でも名前くらいは知っていたし、読んでいる子も多かったと思います。当時のオリーブで少女モデル時代の観月ありさが「折原みと先生の作品が好き」って言ってたなあ。後に超有名ナースになる人が『時の輝き』を読んでいたということか。
そしてその少女小説のポピュラリティの下地を作った一人が氷室冴子なわけですね。
氷室作品は私の頃だと、花とゆめで連載されていた漫画版の『なんて素敵にジャパネスク』が有名だったと思います。小説は『銀の海 金の大地』が雑誌Cobaltで連載中で、これもめっちゃ面白かったんだよなあ(未完)。ただ当時の氷室作品は女子がみんな当然知っているというより、本や漫画が好きな子は知っているという感じだったんじゃないかな。
作品自体がとにかく面白いし、既に少し上の世代の作家さんという感覚でありつつ少女小説の重要な存在として厳然とそこに在る、という印象を持っていた気がします。
あらゆる少女のために、女性のために、誰かのために、古代から現代までを駆け巡って作品を書き続けた氷室冴子。彼女は私にとって、架空の大きな女子校の中で代々語り継がれている伝説の先輩のような存在かもしれません。会ったことはないけれど知的で筋の通った、けれど明るくて優しい行動派の同郷の先輩。
まだ読んだことがないという方はぜひ。
0 件のコメント:
コメントを投稿