20160214
プラスティック・シティ
「北の想像力―――《北海道文学》と《北海道SF》をめぐる思索の旅」(編者・岡和田晃)
『気鋭のSF批評家たちが、新旧の<北>の文芸作品とSF作品を<思弁小説>としてとらえ直し、「辺境」でありながら「世界」を志向するその先進性について論じた日本文芸評論史上画期をなす空前絶後の評論大全。』
面白かったです。<北>、特に北海道で想像されたSFを軸とした辺境ゆえの独自の文学性を、複数の評論で分析している本。800ページ近い大著ですがぐいぐい読めました(なかなか強烈な分厚さですが)。もともと道民&小説が好きという単純な理由で北海道の小説をわりに読むので、その意味でも楽しい。加えて「北海道+SF」という視点にハッとさせられました。
安部公房、吉田一穂、荒巻義雄、円城塔、中野美代子etc.、この人の文章好きだなあと思っていた作家がざくざく出てきました。嗜好を言い当てられた上に自分の根本を垣間見たような気持ち。特に安部公房は不思議に自分の文章嗜好の根幹近くにあると以前から思っていて。この本でルーツががっつりと北海道だったと知りました。
あと私の映画ベストで必ず入る唯一の作品が「オズの魔法使」で、子供の頃からやたら好きなのが続編の「Return to OZ」なのですが、それらも出てきたり。
どの評論も面白いけど、横道仁志さんの「武田泰淳『ひかりごけ』の罪の論理」と、宮野由梨香さんの「「氷原」の彼方へ――『太陽の王子 ホルスの大冒険』『海燕』『自我系の暗黒めぐる銀河の魚』」が特に印象に残ったかな。どちらも<北>から更に一歩踏み出している感じが。
宮野さんが取り上げられている山田ミネコさんの漫画「自我系の暗黒めぐる銀河の魚」を読んでみたい。小樽が舞台のSFなのですね。
対談のページで小谷真理さんが指摘されていますが、アメリカSFと北海道SFは似ていると。歴史や土地に類似性があるのかな、どこかぽっかりと穴が開いているようなツギハギのような感じも似ているかも。その空白や空虚を埋めてきた想像力の形が、寄る辺なさゆえの独自性や人工的なSF性なのか。「ツイン・ピークス」や「ファーゴ」に既視感を覚えたり。
そして編者の岡和田さんの
『私も北海道生まれなのですが、スペキュレイティヴ・フィクションの描写に不思議と「リアル」なものを感じてきました。ブラッドベリの描写の方が日本の近代小説よりも「リアル」に思える瞬間があるのです。(中略)北海道の気候風土はイギリスや北欧に近いものがありますから、そのあたりに共通するものがあるのでしょうか。』
これも分かる気が。ブラキストン線以北ゆえか亜寒帯ゆえか?本州や四国の風景を異国に感じるようなところは普通にあります。ドイツやイギリスで子供心に「北海道とあんまり風景が変わらない?」と微妙にテンションが下がった記憶もある(笑)。
読んでいて思ったのが、自分はSF小説を遠い世界の物語というより、どこかリアルなものとして消費しているのかもということでした(あらゆるSFが「遠くて近い」ものであるにしろ)。妙に身近なのですよね。見慣れた札幌の直線的・人工的な街の風景はSF的と言えるだろうし、外で小1時間ぼーっとしてたらまあまあ死ぬ環境ってわりとディストピア感あるし(笑)。ファンタジーかつリアルなのかな。アンナ・カヴァンの「氷」もリアルだった。硬質で厳しいものにこそ、親しみを覚えます。
やたら寒かった日に通りがかった温度計。マイナス3.2度……思ったほど低くないなあと思ってから、いやいや低いな?と。寒さの基準が何段階かに麻痺している自分を感じた日。あとこの写真、家に帰ってからサムネイルだと一瞬「1921年」に見えてちょっと怖かったです(笑)。寒い上にタイムスリップは遠慮したい。
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